reason for long digression余談が長くなる理由

建築家は、家への条件だけでは家を造れません。
「この人って、こういう人なんだ」という、施主様への理解と愛情からインスピレーションを得て、ようやく図面を思いつくことができます。だから、クーカンの打ち合わせは、無駄話が多くなりがちです。その会話があるからこそ、施主様の個性やステイタスを表現する家を造ることができるのです。

注文住宅は、施主様のリクエストや設計士の思い込みのどちらかだけで家を建てる結果になりがちで、そこが危ういところだと日々思っています。
建売住宅は、使い勝手がよく手軽に買えるけど、施主様は自分が作ったという部分が少ないので「わぁ~ステキ!」より「ここが気に入らない」という愚痴の方がよく聞こえてきます。(本当は大した不具合ではないにもかかわらず)

そんなデメリットを乗り越えて建てたクーカンの家は、住んでる人の良き相棒になれます。手間をかけた分、愛情が詰まっていますからね。

疲れて帰っても、温かい雰囲気に癒され、励まされる。
ともだちが集まり、いつまでも帰りたがらない居心地のよい空間。
「ああ、俺!頑張れるな!」
「ああ、私の人生っていいわ」
って、施主様が思える家を建てたいと思っています。