2008年のある日、平塚家具の店内で施主ご夫妻にはじめてお会いしました。弊社と付き合いある業者様からのご紹介で、おうちを新築されたいとのことでした。きけば以前より、ご夫婦のご実家も弊社にて家具を購入してくださっており、弊社社長や営業マンとは長年にわたりいろいろ思い出があるお客様でした。
当時、ひそやかなわたしたちの工房は、ちゃんとした事務所どころかろくに図面を引く場所もなく、家具店のカウンターの影で散らかった図面がみっともないと皆にひんしゅくをかいながら、粛々とリノベーションに励んでおりました。そんな状況ながら、紹介者の熱烈な支持もあって施主さんはわたしたちに新居の設計をご依頼くださり、その後スタートから完成まで4年という、異例に長い時間がはじまったのでした。
はじめ新居は、老朽化した母屋を取り壊して同じ土地に建てるつもりでした。ところが調べていくうちに、土地にいろいろな制約があることがわかってきたのです。まず市街化調整区域(通常は家が建てられない種類の土地)で、しかも河川地域(国や県の管轄下にある土地)に指定されており、さらには土地の一部は近所のお寺のものであり、ご自身の広い土地に道路からつながる一部の土地には登記がない(=存在しないはずの土地)ということになっていたのです。
この時点で問題は山積したのですが、長年住み続けた土地であり、新築後はお母様が隣のはなれに住めば皆でいっしょに暮らせることもあり、この土地を思い切ることはなかなかできませんでした。そこで私たちは、よし、やってみよう、と腕をまくって、この建て替えのための交渉に奔走し始めたのです。 …結果、3年の月日を経て、ようやく官公庁すべてに建築の許可を取り付けたものの、土壇場になって最後の認可が下りず、努力は徒労に終わりました。
その間、施主様は「どうして生まれて育った場所に住めないのか?思い出もあるし、みんなで一緒に暮らしたいだけなのに…。」と何度も悲しまれました。大きな家が建つ十分な土地がありながら願いがかなわなかったその3年間は、私にとってもつらい時間でした。この間は自分の人生もどこかもの足らず、お客様に申し訳なくて休日もあまりとらず、机と仕事にしがみついて暮らしていました。
ただその間にも、ご主人をはじめ奥様、お母様は終始穏やかで、やさしく心尽くしでお付き合いくださいました。つらいときも私たちを信じ続けてくださったご家族の姿勢は、何ものにも代えがたくありがたいものでした。いまでは、私たちの最高の財産だと思っています。
さてその後、別に所有されていた土地にて いよいよ完成した住宅は、自分たちが期待した以上に、あかるく、広く、あたたかい家になりました。設計は、建てたかった昔の土地用に引いた図面をそのまま使いました。
この家は、パッシブソーラーという考え方で作っています。高額な機械は使わず、自然な太陽の日差しと設計の力で家を快適に保っています。夏はどの部屋にも風がよく通りますし、冬には窓からさす太陽で家が十分に暖まります。大きい家は寒い、という定説をくつがえす、住む人に優しい家になりました。そうしてしばらく住んでいただいて、床暖房をいれただけで冬の夜もポカホカですよ、という奥様からこんな言葉をいただきました。
「吉田さん、私、この家には、本当に満足しています。自慢の家です。ほんとうにひとつもいやなところがないんですよ。」
私たちは何しろ広い空間が好きなうえ、「リビングに吹き抜け階段を作ってください」と施主様からリクエストがあったため、特別に暑さ・寒さ対策が必要になりました。
そこでまず、階段を吹き降ろす風が寒くないよう2階の階段まわりを広くあけ、大きなワンルームとしました。断熱材には発泡ウレタンという高気密な素材を使い、冬の底冷え対策として床暖房を取り入れました。夏対策としてはカーテンを2枚とも薄くし、一日中閉め切って断熱しても光が明るく入るようにしました。
春や秋など気候のいい時期は、窓から充分な風が入りますし、風のない日は天井のプロペラフアンが空気を攪拌してすごしやすい温度に保ってくれます。
子供部屋入口のピンクとグリーン小箱は、当初は計画がなかったものの、「さあ、この家ではどこに作ろうか」と職人さんにうながされ、思いついた位置で作ったものです。結果、子供達にもご夫婦にも喜ばれ、このおうちの楽しいアクセントになりました。
子供部屋がこうして楽しく使われているのを見るとうれしくなります。部屋は壁で仕切るのではなく、家具で仕切ってあります。いつか一つの部屋にして使うことも考えたのですが、職人気質の大工さんが、ただ置くだけでは収まりが悪くて自分は気に入らない、というので、急遽しっかりした壁や天井に固定することにしました。
わが家を建て始めるまで紆余曲折を経験されたご夫妻。そうとは思えないほど、ご家族は新居にすぅーっと馴染んでいらっしゃいます。
このページは、空間建築工房をよく知るライターの私、羽渕千恵が施主さんの素朴な思いをお聞きするコーナーです。
あなたの思いにそっと結びつく話が見つかりますように…。
ーーー空間建築工房との出会いはどうでした?
夫「平塚家具さんの店舗の片隅でやっていらしたころに会ったのが最初です。
人と同じ家は嫌、という思いがあったんです。」
妻「親しい方から「クーカンさんが合うんじゃない?」とすすめられて…、運命というか、ご緑ですね。」
ーーー建てられる土地のことで大変だったのですね。
妻「そうなんです。問題が発生するたびに私は泣いてました。
でもそのたびに吉田良子さんが「何とか考えますから」と。
実際、法務局へ行くときも吉田雅一さんか良子さんが、付き添ってくださり心強かったです。」
夫「私が単身赴任で自宅にいつも居られないので、妻や、クーカンさんに任せっぱなしで。
私は楽天的だから、何とかなるだろう、と大きく構えてました(笑)。
実際、工事が始まったら、岐阜に帰ってくるたびに家がタケノコのようにスクスクと…。」
妻「私も子どもたちも、毎日のように工事の様子を見に来ていました。
大工さんも電気屋さんも現場の職人さんたちが、いい方ばかりで幸せな気分でした。」
ーーー夢がカタチになっていくいい時期ですね。
妻「この前、長男が「将来の夢」と題した作文でこんなことを書いていたんです。
「家をつくっているとき、おかあさんがうれしそうにしていたから、
僕も人を幸せにできる大工さんになりたいって…。何だかうれしかったですね。」
ーーー新居で暮らし始めて、ご家族は変わりました?
妻「長男は寂しがりやで、一人で寝るだろうかと思っていたのですが、
案外自分の部屋をエンジョイしているようです。
部屋から星や月を眺めるなんていうことも知ったみたいで。
長女はクローゼットの中身を自分なりに整理整頓して楽しそう。
年の近い従兄弟といつも仲良く遊んでいます。
私は何より、ソファに座って、な~んにもしない時間が好きです。」
夫「やっぱり帰ってくるのが楽しみ、かな。日常が楽しいっていうか。
人がこの家に集まったとき、リラックスして楽しそうにしているのを見るのが好きですね。
あ、そういえばわが家では妻だけがアレルギー持ちなんですが、
珪藻土のの壁がいいのか、今年はラクらしいです。」
妻「そうでした!花粉症の季節になっても、いつもよりずっと快適です。
夏も窓を開ければかなり涼しいし…。エアコンも良くききますよ。」