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古民家リノベーション
【築55年】夢創の家


「糸工場」である浅野撚糸(株)の代表・浅野正巳氏にデザイナー和田了氏を介し初めてお会いした時、社長のあまりの「目ヂカラ」に一瞬ひるんでしまった自分を覚えています。横には会社のタオル「エアーかおる」のロゴイラストにそっくりな真美夫人が、さらさらとおおらかにほほ笑んでおられました。

今や世界特許を取った糸「スーパーゼロ」。開発秘話は、TVのカンブリア宮殿やガイアの夜明けなどで有名になっていますが、
会社の存続の危機に瀕してでも開発をやめなかった執念と奇跡の糸です。

「教師の職を辞して父の会社に入った時、今の中小企業、ひいては世界の価格競争にさらされた日本の会社には、独自の技術が不可欠だと感じた。だから特殊な糸の開発を始めたんだよ。水に溶ける糸を使って開発を始めたものの、 完成するまでに4年以上かかってしまった。その間に売上げは95%減、粘って粘って、父や世間に呆れられながら毎日糸を撚り続けたんだ。」

結果、開発された糸は経産省の「モノづくり大賞」、文部科学省の「科学技術賞」など輝かしい賞を得て、
世界特許の技術として浅野撚糸を世界の工場へと飛躍させました。ついには宮内庁から、当時の天皇陛下のために注文が来たほどです。

そんな社長は打合せで
「デザインや工事については素人だから、あなたたちを信じて任せるよ。私がこの糸で有名になったように、私の会社をとおして有名になりなさい。」と仰いました。
いきなり信じ応援していただいた感動とある種の畏怖は、建物が完成して一年近くたった今も未だに私たちの中から消えません。
会社のアイコンである真美副社長が「会社の経営が苦しい時、ご主人(社長)にどんな思いを抱かれたのですか。」とTVのインタビュアーに訊かれて「わたしは、この人を信じていましたから。」と一言だけ、おこたえになっています。信じる力、信じられた力、というものをこの現場からいただき、今も私たちの力になっています。

さて、2020年までに浅野撚糸昧さまに引き渡した工事数は六つになります。
1.本社オフィス一階のリノベーション
2.タオルショップ一号店「本丸」一階と二階の内装
3.タオルショップ一号店「本丸」滝と小川のある庭
4.古民家ゲストハウス「夢創の家」古民家のフルリノベーション
5.古民家ゲストハウス「夢創の家」大きな滝と金魚の庭
6.アウトレットフロア
今回は4と5の「夢創の家」を中心にご紹介します。

「こんな地方の片田舎に、世界のバイヤーや観光客、挙句は省庁のお役人まで来ていただける会社になった」と社長。最初は「世界に誇れる最新の新築建物」を望まれていましたが、全国古民家再生協会の岐阜第二支部である私たちが「それなら新築よりも、日本の伝統建築が一番ふさわしいです」と言い張り、それをおおらかな社長が受けてくださったのがこの築55年の古民家リノベーションの始まりです。

するとこの改修工事を、先代の浩会長が一番喜んでくださいました。「この大きい梁は○○で、太い柱は十三本だけ□□で買い、最後のこの木は5年かけてようやく自分で探しに行って調達したんだ」。聞けば、会長は兄弟の多い家庭に育ち、早世されたご両親の代わりに弟妹たちの結婚や家の世話を全部やりきったあと、一番最後に万感の思いでご自宅を建造されたのだそうです。解体して構造の木が現れるたびに増えていく饒舌な会長の思い出。タオルショップ本丸に作った小滝の庭も非常に気に入られ、毎日車いすでガラス越しに揺れる木々を眺めておられたものです。

15mを貫く巨大な梁に会長が描いた希望溢れる家族の名前。
その名のもとに会社の戦略室を置かいた正巳社長の新たなる決意。
それは家族の織りなす連綿とした命の歴史です。
夢創の家の庭は、折り重なる小川に金魚が揺蕩っているのですが、それはこの家が生んだ家族の生命の流れをモチーフにし、
作庭家の末武伸彦氏が設計したものです。

「日本の伝統や地域の文化」「それを生み出す一人一人の強烈な願望」が詰まったゲストハウスには今Hも大勢のお客様が集い、
子供たちが庭を走りまわっています。

「外国のクライアントからも、全国のお客様からもこの場所にきて良かった、と思い出に残る特別なゲストハウスを作ってほしいんだ」

大広間

【築55年】夢創の家

諸外国のゲストをお迎えする大広間は、建具と天井を取り払い畳を替え、御殿のように変身させました。同じ構造物でもちょっとした見せ方でかなり変わります。

【築55年】夢創の家

床の間と仏間を見た大広間。 床の間には全く手を加えていません。仏間は柱をずらし1m幅広くしました。手前の和室は、天井を抜き建具を取り払い、壁をしろしっくいに。

ガーデンデザイン

ガーデンデザインは、末武伸彦氏率いるグリーンラボ作。旧庭で解体した石を組みなおし、積み上げ、滝を作りました。「夢創の滝」と名付けられたつづら折りの小川には、浅野社長が放った金魚が泳いでいます。小さなお客様がそれを追いかけて何時間もこの庭を走っている姿が、社長が望んだ一番美しい景色です。

庭に養老山脈の豊かな伏流水を引いた井戸を掘りました。夢創の滝・洗心の井戸水・振り返りの滝、という名が与えられた3つの水汲み場は、
災害時はこの水を地域に提供したいと願う社長の恩返しの場所でもあります。

【築55年】夢創の家

滝や小川の水が地面にしみこまないよう防水シートを張り巡らせます。

【築55年】夢創の家

水が上品に流れ落ちるようなスピードも考え、岩を積んでいきます。

玄関

天井で隠れていた鉄砲梁(てっぽうばり)あらわしの玄関。その曲線を模した壁は漆喰塗りとし、となりの四角い和室と対比してやわらかいイメージで仕上げました。

【築55年】夢創の家

先代が探し当てた鉄砲梁

【築55年】夢創の家

リビングキッチンだった今の玄関

古民家の耐震

全国古民家再生協会が推奨する制震ダンパー。伝統耐震診断のデータをもとに既存 建物の構造耐力を推定し、仮定の地震波の層間変位を規定内に抑えるため装着します。 層間変位を少なくすることで揺れによる壁の亀裂を抑え、地震による倒壊を防ぐものです。
日本グッドデザイン賞(2015)を受賞した 古民家耐震パネル型面格子。協会所属の 宮大工の手で丁寧につくられる一品もの。

ガラス張りの企画戦略室。自身の名の描かれた大梁のロマンの下で、大事なことは全部ここで 決めようと思う、と社長。おもてなしの場でありながらインスピレーションの源にもなる場所になりました。面白がったお客様が 時には入ってこられるのも楽しんでおられるそうです。

天然の歪んだ梁の下にガラスをはめるために、木を削りながらまっすぐな枠を作りました。(完成が上の写真) 機能するデザインとは、地味で地道な作業の積み重ねから生まれます。

井戸の水が純度100%で流れる岩を組み、水盤を作りました。廊下には、北の水盤と南の庭がどちらも映り込む円形のガラス窓。
今だけでなく過去も未来をも想い反省する場所、として「振り返りの窓」という名がつけられました。(写真左と右上)
玄関の屋根の上には平和の象徴のハトの瓦。(写真右下)

松の梁

家をつらぬく15mの松の梁はたいへん貴重材。
先代が山から曳いて大八車に載せ、
曲り道の枝を払いながらようやく運んできた。

妻や子供の名前までの墨書がある家は珍しい。「長男・正巳11才」と現社長の名が。
ほこりとカビで少し白くなっていた大梁。墨を消さぬよう慎重に字のまわりを削り、塗装を重ねました。
15mの大梁を目立たせるために、小梁を壁で囲って隠します。「和」は簡潔にするのが美しいからです。
木の梁があると、見上げても見下ろしても楽しいです。昔は子供部屋として生活に使われていた二階ですが、今は大空間の余白として美しく生まれ変わりました。

新玄関

開放的な土間を持つ新玄関。床に墨を流し黒い鉄の階段でもとの雰囲気を伝える。
入口の沓摺石・ヒノキの縁側・さるすべりの落とし掛け、この3点はあえて昔のまま。
Before:昭和な印象の旧玄関。 流木や石など趣向をこらしてあるのですが、自然の曲線が古風にみえていました。

2階の床を取り払い、1階の天井をはがしました。もとは洋風な子供部屋だった場所です。
木の色はくすんでいましたが、手で一本一本やすりをかけたところ、白木に変身しました。
木は、樹種にもよりますが、伐採してから100年~150年かけて強度が増し、それから200年~300年かけて緩やかに劣化します。まだこの家の木の寿命は200年以上残っています。